2014年08月30日

自分サイズの幸せ

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体に身に付ける物。洋服や靴、帽子や眼鏡等々。

老若男女、万人にピッタリとフィットするものってありませんよね。

背の高さが違う。体重にしてもそう。

住んでいる環境や職業によっても千差万別。人のサイズは様々です。


同じように、感情も自分と周りの人がピタリと共有できるかは疑問です。

例えば笑いのツボ。人がゲラゲラと大笑いしているギャグも、自分が聞くと何がおかしいのかサッパリ分からないって事も。


感動の場面にしてもそうですよね。

一般的に悲劇と言われる映画を見て、涙を流してる人もいれば、まったく無反応な人だっています。


そこには感受性の問題だけでは片付けられない、もっと複雑な人間の内面が絡んでいると思うのです。

その人がそれまで生きてきた中で経験した悲しい事。

映画のシーンでそれが一気にフラッシュバックし、涙が溢れる場合もあります。

となると、第三者にはちょっと理解し難い感情ですよね。


ひとつの出来事を同時に遭遇しても、どのように感じるかは人それぞれなのです。


「幸せ」という感情にしてもそう。ひとつには括れない様々な形があります。


好きな人といられる幸せ。欲しかったものが手に入った幸せ。刺激のある生活を送れる幸せ。平穏無事に過ごせる幸せ。

傍から見たらどうでもいい事、時には不幸なんじゃないかと思える事も当事者にとっては幸せな場合も。


「幸せ」は人と比べられるものではありません。

あの人にはあの人の。そしてあなたにはあなたの「自分サイズ」の幸せがあるのです。


posted by 紫陽花 at 15:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月20日

現実社会のヒーロー

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「弱きを助け強きをくじく」

子供向けの特撮物から、お年寄りに支持される時代劇まで、日本人は勧善懲悪な物語が大好きですよね。

「半沢直樹」が支持されたのも、ストーリーの根底に「勧善懲悪」の分かりやすさがあったからだと言う人もいます。

結末は分かっているのについつい引き込まれてしまうのは何故なのでしょう。

そこには簡単には実行できない「憧れ」が存在しているからではないでしょうか。


現実の社会に目を向けてみると、人との付き合いの中で「身に覚えが無くとも、我慢しないといけない理不尽さ」というものがあります。

特に利害関係が如実に表れる仕事上では、よく発生しますよね。

お客さんからのクレーム、上司からの叱責等、自分が犯したミスでなくとも、そこに携わっている故に受け入れざるを得ない辛さ。

更に100%相手に非があるのに、頭を下げなければいけない事も。

そんな経験は誰しもあると思います。

だから悪を懲らしめるヒーローは、自分に出来ない事を実践してくれる憧れとして、いつの時代の支持されているのですね。


しかし、現実ではそうはいきません。

自分の置かれている立場や家族の事を考えると、唇を噛み締めて涙をこらえるのが精一杯。

そんな自分の姿が「格好悪い」と更に落ち込んでしまう事もあります。


その時にある「悔しい思い、情けない思い」をグッと我慢して、やれる事をしっかりとやりましょう!

あなたの姿を、見る人はちゃんと見てくれています。

「格好悪い」と思われるどころか、辛い時でも逃げないあなたの姿勢にきっと共感してくれる筈です。


悔しい思いをした分、あなたの理解者が増えたのです。


力技で悪を懲らしめるだけがヒーローではありません。

困難に真正面から立ち向かうあなたは、理解者から見れば「現実社会のヒーロー」なのです!

「やられたらやり返す」が出来ないなら、「やられたら吸収する。10倍ステップアップだ!」です。

ちょっと苦しいですが(笑)そう考えて嫌な経験も次へのステップにしていきましょう!


タグ:経験
posted by 紫陽花 at 17:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

日差しはいつも平等

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生活していく中で、何事も同じ調子を保ちスムーズにいく事はありませんね。


この間まで仕事や勉強が意欲的に取り組めたのに、今日はサッパリ…。

なんだか分からないけど、人間関係が煩わしく感じる事が多くなってetc.


人には「身体」「感情」「知性」の3つから構成されたバイオリズムがあり、これらは一定の周期で、高調期低調期をくり返すといいいます。

これは単に精神的なものではなく、科学的根拠もあるとか。

最近は正確なリズムの計算方法もあり、自分の今後の生活を占うひとつの指針にしている人もいますね。


高調期の時はいいのですが、低調期に入ってしまうと、自分を取り巻く環境が変わってしまった錯覚に陥る事があります。

例えば、「食事が美味しくない。何を食べても砂を噛むような感じで…」とか「周りの景色がどんより曇った日ように色あせて見えてしまう」等。

それがエスカレートしてくると、自分のツキの無さを嘆いてしまったり、誰かが自分を貶めているのじゃないかと疑心暗鬼になったり。


でも、たとえ自分が低調期でどんよりしていても、周りの環境は何も変わっていないのです。

いつも朝になれば日が昇り、その日差しは誰にでも平等に降り注いでいます。

暗いと思っているのは、自分自身の「低調期」という都合で背を向けているだけなのです。

ほら、勇気を出して振り返ってみませんか。

あなたの目にいっぱいの光が飛び込んでくるはずです。


調子が上がらないのは仕方がありません。

でも、それで光に背を向けていては、いい波が来ても気づかずに逃してしまいますよ。

posted by 紫陽花 at 17:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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